『学び合い』とは…?

上越教育大学 西川 純先生 提唱の教育論です。


『学び合い』を始めたきっかけ

『学び合い』ネットブック(全185P)
『学び合い』ネットブック(全185P)

 「一人も見捨てない授業」という言葉に共感したのがきっかけでした。

 わたしは、中学の理科の教師で、いろんな実験や教具を準備して「先生の授業楽しい」と言われました。しかし、3年生になって受験になったとき、残念な結果になり涙する生徒を前に、「今の授業でいいのか?」と疑問に感じていました。興味や関心をもたせることができても、学力を上げさせることができていなかった。

 「受験は団体戦」みんなで雰囲気をつくってみんなで支え合ってがんばろう!と受験生には、声かけをしました。自分自身、集団の雰囲気が学力に大きく影響することはなんとなく気づいていたからです。それに、体育会や文化発表会などで、生徒たちが予想を遙かに超える行動を見せてくれて、「すごい!」と本気で感じていました。

 『学び合い』では、生徒たちの力を信じます。そして、教師自身も本気で「一人も見捨てない」ことを追究していきます。生徒と教師が、同じ目標に向かって本気になれる魅力が『学び合い』にはあります。

 2009年8月。『学び合い』に出会い、上越教育大学の西川先生の「ネットブック」を印刷し、先輩の先生と2人で試行錯誤しながら『学び合い』を始めました。

 


『学び合い』の3つの観点(自分なりに解釈して記載)

① 学校観

 そもそも、「何のために学校に来て勉強するのか?」と生徒から聞かれたらどうしますか?その答えは、ちゃんとあります。学校は、「教育」が行われる場ですから、「教育の目標」にその答えがあります。

 

 <教育基本法 第1条>(教育の目的)

教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

 

 「人格の完成」のために勉強を学校でするのです。言い換えれば、学校の教育は「人格の完成」のために行わなければならないのです。

 では、「人格の完成」とは?

 わたしは、「大人になること」として捉えています。「大人になるために必要な力をつけるために学校へ来て勉強をしているんだよ。」と生徒には説明をしています。

具体的には、以下のような力だと説明します。

 ○ みんなが自分の見方や考えを他者に表現できる。

 ○ 自分とは異なる仲間の見方や考えを受け入れ、自分の見方や考えに反映させることができる。

 ○ 分け隔てなく接することができる。

 ○ 共通の目標に向かって、仲間と協力して努力することができる。

 ○ 人のことを気にかけ、具体的行動を起こすことができる。

 

 これができる学級は、だれ一人見捨てることはなく、きっと幸せだろうし、みんな笑顔で過ごせるはずです。

 

 西川先生の言葉では、

 「学校は、多様な人とおりあいをつけて自らの課題を達成する経験を通して、その有効性を実感し、より多くの人が自分の同僚であることを学ぶ場である」

 

 どんな人生を歩んでも、必ず他者と関わりながら生きていきます。その時に、必要な力を学校で学ぶのです。

② 子ども観

「子どもたちは有能である。時に、大人以上に…」

 

 自分の実体験では、体育会の子どもたちの姿がまさにこれです。

 限られた時間に練習計画を立てたり、後輩たちに指導したり、道具を準備したり、士気を高めたり…。役割分担をして、効率的に取り組んで行きます。そして、体育会の閉会式では、みんなで涙できるすばらしい時間を創り上げます。もし、教師主導の体育会だったら、みんなで涙することはできないかもしれません。

 子どもたちは、力をもっているんです。後は、大人(教師)がどこまで子どもたちを信じられるかだと思います。

 

 『学び合い』をはじめて、授業中の出来事です。

 3年生の化学分野でした。化学では、分子の振る舞いをイメージすることが理解につながります。しかし、そのイメージ化するときにどのようなイメージを提供するかがキーポイントと言えます。そこで、わたしが少しよかれと思って、「先生は、原子を○○のように見立てて考えてる。」と説明しました。その後の、『学び合い』の時間でやはりわたしの説明ではイメージできない生徒がいました。で、ある男の子がその生徒に教えていました。わたしは、聞き耳を立てて様子をうかがっていましたら、それは理科の教師もびっくり!めちゃくちゃわかりやすい!!T「どこで知ったの?その教え方?」S「えっ!自分で考えました。」T「すごいぞ!!」もちろん、わからなかった生徒は、その子の教え方で納得していました。

 教師は、すべての生徒にとって最善の教え手とは限らないことが実証された瞬間でした。

③ 授業観

 先に述べたように、教師は生徒にとって最善の教え手とは限りません。(※1)

 さらに、さまざまな学力の生徒が存在する教室で、1つの教え方の授業(一斉授業)ではついて行けない生徒が出てきます。そのため、教師は個別指導を行うわけですが、ついて行けていない生徒が教室の1/3いたとします。35人学級では、11人です。一通り教えた後に個別指導を行ったとして、時間は約15分とします。個別指導できる時間は、1人あたり1分20秒弱です。もちろんこの時間に、ついて行けているだろう生徒の状況把握や質問にも答えることになります。そうなると、1人あたりの時間はもっと少なくなるのです。つまり教師1人で教える一斉授業では、切り捨ててしまう生徒が出てしまうことになります。(※2)

 ※1と※2の問題を解決する方法は、「教授(生徒からすれば学習)を、生徒自身に任せ、教師は、課題の設定、評価、環境の整備をする」という方法です。

 具体的には、

 まず、環境をつくります。「ネームプレート」や「ホワイトボード」「国語辞書」「資料集」など、生徒が必要と感じたときに自由に使えるようにします。

 そして、授業のはじめに、「今日の課題」を教師が説明します。

 「今日は、みんなが○○できるようになってください。」

 教師は、「教科書の○○ページに書いてあるからね」「○○のようにすれば簡単になるよ」なんて言いません。それが、生徒にとって最善の学習方法とは限らないからです。

 そして、子どもたちを信じ、自由に学習を始めさせます。何を見ても良い。誰に聞いても良い。席を立っても移動しても良い。とにかく、今日の課題をクリアするために全力を尽くさせます。生徒の中には、すぐに課題をクリアする生徒もいるでしょう。そんな生徒は、わからない生徒に教えに行きます。わからない生徒は、いろんな生徒にわかるまで質問に行きます。そして、みんなで課題をクリアしていきます。

 授業の最後に、教師は生徒の学ぶ姿を評価します。授業内容のまとめではありません。

 「○○さんは、まわりをよく見てわからない人に声をかけてたね」

 「○○くんは、わからないときに、わからないから誰か教えてって大きな声で言えたね」

 「でも、全員が課題をクリアできなかった。何がいけないんだろう?どうしたらいいんだろう?」よりよい学習を目指して、教師と生徒がいっしょになって考えます。そして、「じゃあ、次回からは○○してみよう。そして、全員が課題を克服しよう!」とつなぎます。『学び合い』の趣旨に反する姿が見られれば、4月の授業開きの内容を再び語ります。

 

3つの観点のつながり

 3つすべての観点が同時に進行するわけではないと思います。

 まず、第1に「子ども観」をもつことが必要です。

 教師が子どもたちをどこまで信じることができるか?どこまで「学校観」を実現させたいか?その教師の姿勢が子どもたちに伝わり、子どもたちの姿となって現れると思います。まず、教師が本気になることが求められます。

 第2に「授業観」です。

 教師が本気であることを、姿で見せれば子どもたちは変わるはずです。教科や単元が変わっても『学び合い』で生徒に要求することは変わりません。「1人も見捨てるな」です。すぐには、伝わらなくても、教師が諦めず、「きみたちを信じている」と伝え続けることで、授業中の子どもたちの姿は変わると思います。

 そして、『学び合い』のよさや価値を生徒自ら感じるようになって、「学校観」を受け入れ、実感する生徒が現れるのではないかと思います。