『学び合い』

『学び合い』 · 13日 3月 2024
 3年前、総合的な学習の時間の使われ方に疑問を持ち、ある教材と出会った。それは、どの教科に分けられるものではないものであった。しかし、最初の動画を観た際に、「これだ!」と心を動かされた。その動画の中には、近未来の生活のようすが映し出され、AIやロボットによって、いろいろなものが人間の思考を使わずに提案され、まるでAIやロボットによって人間の生活がコントロールされているようであった。しかし、AIやロボットが普及していない地域からやってきた人物は、「考える」ことをやめなかった。そして、「学ぶ」ことを続け、「もっと〇〇」「〇〇したい」という気づきに対して「学び」をやめず、「行動」に移していった。そして、人間の生活のより豊かなものにしていった。今の私たちは、魚の釣り方を知らなくても、魚を食べることができる。魚のさばき方を知らなくても、おいしい魚を食べることができる。つまり、使わない能力は失われていくのである。  これは、社会構造が変わり、役割を分担して「社会」を形成してきた結果であると言える。また、人間の到達点のない欲によるものだと思う。ずっと昔は、あらゆることが手作業で行われていた。そのため、より質の高い知識や技能が求められてきた。そこへ、18世紀後半、産業革命がやってきた。今で手作業で行っていたことが、「機械」が行うようになり、人間は機会を操作する部品となり、機械の一部になってしまった。技術が発展するごとに、機械がバージョンアップされる。それとともに、人間にはさらに質の高い知識や技能が求められるようになってきた。大規模工場で、均一な製品を効率よく大量生産するため、機械と人間のバージョンアップは、より質の高い知識と技能によって発展してきた。一方で、古くなった知識や技能は失われてきた。「職人」と言われる人間にしかできないモノも、今や危機的な状況である。  そして、今日、AIが人間の生活の中に登場した。AIは、あらゆるものを学習し進化を続けている。AIは、人間の存在を脅かしている。大規模工場のシステムをコントロールし、機械の一部であった人間は、その本当の存在意義を見出すことが求められている。  このような社会に、子どもたちを送り出す学校教育はどうだろうか?一人1台のタブレット端末、微妙に途切れるWi-Fi環境、厳重すぎるほどのセキュリティー。環境は整った。評価の規準も変わった。役職柄、多くの先生方の授業を参観することが多いのだが、私が中学生の時の授業と変わった点は、ごくわずかのように見える。自分自身の授業もそうだ。教師からの質問→生徒の回答→教師の解説→生徒の反応。この矢印の向きは、変わっていない。まだ、生徒から質問されていないが、「二酸化炭素は石灰水を白くにごらせるということを知って、人生が大きく変わるのか」と質問されたらどうだろう。理科教師以外の大人で、二酸化炭素が石灰水を白くにごらせるという知識や技能は、おそらく一生の間で1度もないのではないだろう。そのため、「使わない知識や技能」は失われていくのであり、現在を生きる子どもたちに学ぶ価値を見いだせきれないのも実状であると言える。もちろん、化学の基礎を学び興味をもつことによって、さらに学びを深め、新しい素材を発見したり、新薬を開発する大人を育成することも可能だろう。しかし、子どもたち全員がそうならなければならない訳ではない。だからこそ、今からの教育で求められるのは、子どもたちが、「何をいつ、どこで、どうやって学ぶか」というものに裁量を与えるべきではないかと思う。生徒の気づき→生徒の疑問→生徒の学修→情報の共有としてはどうだろうか。すると、「〇〇は△△である」という知識や技能だけでなく、目の前に現れた疑問や課題を、協働して解決していく「能力」を身につけることができるのではないだろうか。  これからの社会は、「予測困難な時代」と数年前から言われている。だからと言って、「わからないのだから、今のままでいいや」では通用しないし、将来不幸になるとわかっている子どもたちを社会へ送り出すことにもなる。「予測困難」と予測できているのだから、それに対応するための教育を行わなければならない。そのためには、まずは、教師が危機感をもって、学び、実践していく姿勢をもつことが重要であると考える。
『学び合い』 · 31日 1月 2018
『学び合い』にしても、アクティブ・ラーニングにしても、何にしても。 周りと違うことをしようとすると感じるもの…。 「孤立感」 多くの方が感じたことあるんじゃないでしょうか? 今日も、「孤立感」を感じます。 「子どもたちの幸せ」を自分なりに考え、核心をもって取り組もうとしても...
『学び合い』 · 22日 1月 2018
 2013年にこのホームページを立ち上げ、『学び合い』に基づく授業実践をアップしてきました。当初は、『学び合い』を広げたい!という思いでしたが、『学び合い』の核心である、子どもたちの一生の「幸せ保障」の思いが強くなりました。そこで、授業実践だけでなく、学級づくり、生徒会活動、平和教育など「教育者」としての立場で、子どもたちの幸せをどのように保障していくか?という視点でホームページを作っています。  この5年間でさまざまなことが変化しました。最初、『学び合い』に対して、多くの人が批判的で、成果を出しても、なかなか受け入れられませんでした。しかし、文科省がアクティブ・ラーニングという言葉を出したり、大学入試改変が発表されたり、実際に教育現場に「変化」が求められるようになってきてから大きく流れが変わりました。  平和教育においても、戦後70年という節目を境に、歴史学習タイプの姿から、戦争体験者の思いをどのように現在の生活の中に活かしていくかという視点に重きを置いていかなければならないようになりました。  今日の話ですが、ベテランの先生から、「先生は、どこで主体的と自主的のちがいとか、いろんな情報を仕入れているの?」と聞かれました。考えてみると、どこからだろう?いろいろな文献を読みあさっているわけではありませんし…。やっぱり、「出会い」だと思います。子どもたちとの関わりの中で、疑問に思ったり、子どもたちから教えてもらったり、同僚、『学び合い』や平和教育で出会った方々だったり、この5年間はとても多くの人々とつながることができました。そのつながりの中で、多くのことを、「そう!そうなんよ!」と学ばせていただいてきました。  今後も、多くの方々との出会いを大切に精進してまいります。  よろしくお願いいたします。
『学び合い』 · 19日 1月 2018
 多くの学校で、生徒会の役員が交代し、2018年度の生徒会目標を設定したり、委員会の年間計画を立てたりしているのではないでしょうか?勤務校でも、生徒総会に向けた動きでいっぱいいっぱいになっているます。2年生の新生徒会長ともいろいろな話をするのですが、どうしても理解できないことも多いようで、だったら、「百聞は一見に如かず!見においで!」ということで、今日から予定では2日間。私の学級活動を参観することになりました。『学び合い』の授業を体験もしてほしいのですが、とりあえず、ホームルームと給食時間だけ。  初日の今日の最後に「質問や感想は?」と聞くと、いろいろなことが斬新だったみたいでした。  「なんで、帰りの会のときに、代議員さんは座って話をしているんですか?」との質問がありました。確かに…。うちの代議員は、みんなに何か問題提起をしたり、意見を述べるときは、椅子に座って話をします。「直接、聞いてみたら?」と言いたかったのですが、すでに、代議員は退出をしていたので、  「きっと、目線を気にしてるんじゃない?だって、立って話したら、上から目線になるじゃない。」と答えました。「目線」や「立ち位置」については、代議員やリーダーたちには、いろいろと言ってきました。人に影響を与えるのは、「言葉」だけじゃない。「目線(目の位置)」や「立ち位置」でも、印象は違ってくる。人に受け入れられたければ、そこまで意識しなくてはいけないということをわかってくれたかな?  授業でも、「教えようか?」から始まる授業は、まだまだだと思っています。この状況は、もしかすると「教える側が偉くて、教えられる側が偉くない」というような変な価値観が存在する可能性があります。でも、「ねぇ、ここが分からないから、誰か教えてくれない?」から始まる授業では、人間関係に上下関係はありません。「分からないこと」=「マイナスなこと」ではないからです。このような価値観が学級には必要だと思うんです。  以前、新生徒会長との話で、「個性」の話になりました。新生徒会長は、「人には良いところも、悪いところもある。でも、それら全部を『個性』というし、それを認め合う必要がある」と言っていました。確かに、「認め合う」ことは大事です。しかし、私がひっかかったことは、「個性」に「良い」「悪い」が存在するのか?ということでした。  「個性」に良し悪しをつけるということは、すでに差別心があるように感じるのです。「個性」はそれぞれ違う。ただ、それだけでいいんです。そこに、良し悪しをつけるから、排他的になったり、不要な上下関係が生み出されるのだと思います。  明日は、そこに気づいてほしいな。
『学び合い』 · 10日 1月 2018
 今日は冬課題テストでした。  テストのときの恒例の一言コメント。  今日は、「正解はないけど、答えはあるのだよ」ということを伝えたくて書いてみました。  今日受けたテストの問題には、答えがあり、みんなは正解を導こうと一生懸命に正解を探します。  自分の答えには、〇か✖の評価が行われ、点数化されます。...

『学び合い』 · 21日 12月 2017
先日、上越教育大学の水落先生が来校され、自分の授業を参観して頂きました。 本来の目的は、校内研の講師として来校して頂いたのですが、最近、自分の授業で「これでいいのか?」と疑問を持つことが多々あったので、参観を希望し、見ていただきました。 午後の研修で、私の授業を取り上げて頂きました。...
『学び合い』 · 14日 9月 2017
昨日、初任者の方(理科&社会)の先生方(35名)に、授業を参観して頂きました。初任研の1つにようで、授業づくりの研修だったようです。 単元は、3年の遺伝の分野の発展問題。2つの対立形質の子や孫の世代の遺伝子の組み合わせを考えると言った感じの授業。四苦八苦しながら、指導案、久々に書きました。...
『学び合い』 · 19日 6月 2017
『学びあい』に基づく授業を行っていて、授業時間の大半は、子どもたちの活動を見守る教師。 この時間に、子どもたちの何をみとるか、センスが求められるなぁとつくづく感じます。 授業中に、ふと見ると、わからない友達に教えてる何気ない風景が目に入りました。...

『学び合い』 · 15日 6月 2017
昨日の夕方、同教科(理科)の若手の先生から 「ちょっと質問良いですか?」と…。 後輩から質問されることなんてあまりないのですが 表情は困った感満載でしたので、話しを聞いてみると、 中学2年生の銅の酸化の質量比の問題をどのように教えると、みんながわかってくれるのか? というものでした。 銅:酸素:酸化銅=4:1:5っていう部分です。...
『学び合い』 · 14日 6月 2017
2017年度も順調に進んでいます。 気づけば『学び合い』を初めて10年! いろいろ試しては失敗したり、子どもたちの様子に感動したり、たくさんのことを学んだ10年でした。 いろいろ学んだ中で、今、再確認していることは、「非規格化」です。 どうしても、「○○あるべき」と教師は規格化しがちです。 例えば、「授業中は私語をしない。」...

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