「目標」か「取組」か

 新年度が始まり、そろそろ時間割もスタートしてきているのではないでしょうか?

授業では、「語りの授業」で集団づくりがスタートしていることと思います。「語りの授業」についても書きたいのですが、本日は、「目標」か「取組」かでお話をしたいと思います。

 昨日、生徒会指導部の話し合いがありました。そこで、「委員会の目標」の掲示物を充実させる話題になりました。本校では、専門委員会の翌日、「係会」を各学級で行い、委員会の目標をもとに、学級の実態に応じて活動を決めて行動します。そのため係会では、各班の係が集まり、活動を考え、紙に書き、掲示物をつくります。

 そこでの文言で議論が行われました。

 項目は3つあります。1つは、「委員会の目標」。これは、専門委員会で下りてきた目標を記入します。2つめは、「学年の目標」。これは、委員会の目標を受けて、学年の実態に応じて、同学年の委員で決定した内容を記入します。3つ目は、「係の目標」です。これは、各班の係が学級の実態に応じて、学級単位で話し合いで決めて記入します。

 この「目標」を「取組」に変えるという意見が出されました。理由は、「目標」だと具体的な行動が見えない。「取組」にすると、具体的な行動が決まり、指導がしやすいとのことでした。

 「ん?」「んんんんっ?」

 私には、引っかかります。

 ①「取組」を各係で統一すると言うことは、そこに「個性」は存在するのか?

 ②そもそも教師は、何を指導するべきなのか?   です。

 

 ①について、私の学級だけでなく、その学級にも、個性豊かな未知なる可能性をもった子どもたちがいます。元気よく人前で自分の意見が言える子、物静かで落ち着いた性格の子、いろいろです。そこで、行動を統一すると言うことは、彼らの可能性を阻害してしまうと思うのです。彼らは、困難な課題に直面しても、大人ですら思いつかない画期的な方法を発見し、実践できます。(授業で痛感しました)だからこそ、手段は子どもたちに任せるべきであり、その手段は、個人の個性によって異なるはず。むしろ、異ならなければならないと思います。人前に立つことが好きな子にとって、「朝の会、帰りの会で全員に呼びかける」という「取組」は、すぐにできることかもしれません。しかに、人前に立つことは苦手、だけど1対1でじっくり話し込むことが得意な子にとって、「全員の前で話をする」よりも「1日の間に全員に声かけをする」という取組の方が有効だと感じるのです。それらの手段を選択させることは、「自己指導能力」の育成になります。学級にそういう機会をたくさん設けることで、いじめや差別はなくなる、なくせる子どもが育つと思うのですが…。

 

 ②について、私が子どもを指導する際に、気をつけていることは、「なぜ、いけないのか」「なにがいけなかったのか」を自分の言葉で表現させています。その時、「ルールで決まっているから」「みんなに迷惑をかけるから」といった返事に対しては、「なぜ、そんなルールがあるの?」「なんで、みんなに迷惑をかけることになるの?」と聞き直します。つまり、ルールをやぶったから怒られるでは、子どもたちは育ちません。教師は、なぜルールが存在するのか?なぜ、その言動がいけないのかを、その子どもに思う夢や希望に照らし合わせ、子ども本人に感じさせることが必要だと感じます。

 指導の理由が「ルールをやぶったから」であれば、これは「指導」ではありません。「指導」とは、進むべき道を考えさせ、導くことだと思います。

 本題に戻りますが、指導するために「取組」を明確にした場合、往々にして、指導の際は「あの取組できていないじゃないか!」と指導することになります。これは、「指導」でしょうか?

 「教師が教えることが授業ではなく、子どもが学ぶことが授業」これと通ずるものがあると思います。

 

 ということで、もう一度、生徒会指導部会で主張してきます!!